短編/一枚






 「あ…昨日はね、友達の処に泊まっていたの…本当よ」


 嘘だ。
 「ほら、斉藤雪子さん。あなたも知ってるでしょ?同じ職場の…」
 君は嘘を吐く時、決まって瞳を泳がせる。右へ、左へ。上へ、下へ。そんなことは、罪悪感を軽減させる何の役にも立ちはしないのに。
 「ごめんなさい…怒ってる?あなた、昨夜は帰って来ないものだとばかり…今度から、外泊する際は連絡するわ」
 小さなバーを営んでいる君は、開店前のこの時間、アイスピックを片手に心――いや、氷か――を砕きながら謝罪を述べる。
 もう、いいから。喋らないで欲しい。
 僕は君の真っ直ぐな視線を感じたいだけなんだ。美しい漆黒の双眸が落ち着き無く動くのには、いい加減うんざりしてる。
 あぁ、君の瞳を永久に縫い留めてしまえたらいいのに。
 「そう言えば、あのね。あの…。次の土曜日にも是非来て欲しいと、彼女に誘われたのだけれど…」

 ガキン。

 氷の破片が飛び散って、カウンターの上を滑った。
 「私、行ってもいいかしら…?」

 ガキン。

 氷を割るのを止めろ。
 「別に、悪いことをしている訳ではないのだし…」
 眼球を上下させるのを止めろ!
 「え…あっ…!」
 君が叫んだ。
 硝子の容器が倒れて、氷が散らばる。
 「やめ…お願い…」
 アイスピックは君の左手から僕の右手に移動して、もはや耳障りな破砕音は聞こえない。
 そして…。


 「いやぁぁっ…!」


 君の瞳は二度と、虚偽に揺れたりしない。


         +



 君は未だに僕に何か嘘を吐いているらしいね。本当に僕のことが好きだったんだ、なんて馬鹿な話じゃないんだろう?
 だって。
 君の瞳はホルマリンの海で、今も相変わらず泳いでいる。








A Mad Tea-Party

Come Here Alice, the Lost Child!

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