中編/二枚 1/2

  




「ねぇ?わたくしのクローバー」
 必要以上に広い執務室に、張り上げてなどいなくとも、彼女の声は響く。私の仕事机の前に立ってロミアは、同意を求めてジュリアンを見詰めた。彼は困ったように眉を下げたが、しかし何も言おうとはしなかった。代わりに私へと視線をずらし、それだけで問う。
「駄目だ」
 二人分の懇願をひと息に切り捨てて、私は話を終わらせるべく立ち上がった。
「ジュリアンはお前の護衛である前に私の臣下だ。好きなようには使わせん。今度の遠征にも連れて行く」
「そんな、」
「口答えは許さん」
「………」
 見る間に、ロミアの頬が傍目にもわかる程膨らんだ。まったく、十七にもなるというのに子どもで困る。
「不安ならば別の護衛を付けさせる。それでいいな?」
 代替案に応えは無い。かと思いきや、
「兄様のわからずや…っ」
 平手と共にそんな言葉が飛んできた。咄嗟のことに反応出来ずにいる内に、苛立ち紛れの足音が遠離る。
「あの、お転婆め…」
 私は独り言ちて、溜め息を吐いた。
‘わたくしのクローバー’
 妹(ロミア)がジュリアンのことを、親しみを込めてそう呼んでいることには随分前から気が付いていた。それとなく尋ねてみたりもしたが、その時ロミアは言った。

「‘わたくしの騎士様’と言う意味なの。クローバーは兵隊だと、昔から決まっているでしょう?」

 私はなんと返したのだったか。そうか、と肯いただけだったような気がする。それでも、私は知っていた。‘クローバー’は隠れ蓑だ。頭文字のCを取ってみればわかる。他愛の無い言葉遊び。わかり易過ぎる秘密。ロミアは確かにジュリアンを、私の腹心であるこの男を、好いているのだった。
「ロレンス」
 その彼が、私の名を呼ぶ。
「……なんだ」
「いや、僕も失礼させて貰おうと思っただけだよ。遠征には何かと準備が要る」
「あぁ…下がれ」
 手の甲を向けて、ぞんざいに振った。所謂人払いの仕草だが、ジュリアンは視界の端で律儀に一礼して、羽織った服の裾を翻した。主従関係から来る、当然と言えば当然のその所作は、幼少、それこそ赤子の頃からの交流を持つ私達にとっては何処か――いや、感じているのは私だけだろう――歪だ。
「――待て」
 ふと気になって声をかけた。
「どうした?」
 ジュリアンが立ち止まる。
「ひとつ訊く。お前、残りたかったか?」
 遠征になど行かず。ロミアの元へ。
 彼を戦場に伴うのは、信頼のおける能力に因るばかりでは無い。私が恐れたのは……
「まさか」
 振り返って、ジュリアンが笑った。
「忘れてはいないよ。僕はずっと、ロレンス、君の従僕だ」
「ならば、いい。行け」
 意図して詰まらない様子で、私は彼に退室を促した。独り残されたこの部屋はかえって、その広さが息苦しい。
 わかっている。ジュリアンはいい男だ。臣下としても、友人としても……恐らくは恋人としても。ロミアが惚れるのも当然かもしれない。しかし、私は決してこの恋愛を認めるわけにはいかないのだった。何故か?簡単な話だ。私の乳兄弟でもあるジュリアンには、身分が無い。その他の点で申し分がなくとも、地位の低い男を愛する妹の夫にすることなど、私にはできなかった。もしも足りないものが財産であったとしたならば、全力をあげての援助を惜しまなかっただろうに。
「……意味の無い仮定だ」
 呟いて、私は執務室を後にした。遠征に備えなければならないのは何も、ジュリアンだけでは無いのだ。


     + + +


 遠征に発つ前夜、私は妹に呼ばれて彼女の部屋を訪れた。二階に据えられた、それなりの面積を持つ角部屋をノックする。
「どうぞ、お入りになって」
 幾ばくも待たせず、声だけで私を部屋に迎え入れたロミアは、バルコニーに通じる窓辺に佇んで外を見ていた。カーテンが片側だけ閉じている。
「ジュリアンのことなら、どう説得しようと無駄だぞ」
「………」
 先手を打って出た為か、暫くロミアは何も言わなかった。何事か考えているのだろう、ただじっと、闇に視線を投じていた。
「私も明日からのことで忙しい。話が無いのなら自室に戻るが……」
「兄様は」
 痺れを切らしかけた辺りで、漸くロミアが口を開いた。ぽつりと、しかし明瞭に漏らされる言葉。
「わたくしを奪(と)られるのが恐いの……?」
 当たり前の話をしているのだと思った。だが、違った。
「違うわよね。兄様はジュリアンをわたくしに奪われるのが恐いんだわ」
「何を莫迦な……」
「だって、そうでないならどうして、わたくしをジュリアンから引き離そうとするの?」
「それは……」
 身分の話など、できる筈も無かった。体裁など持ち出したところで、内実の無い外見(そとみ)を嫌う彼女には却って逆効果というものだろう。
 二人を遠離ける試みは、それと知られないよう気を遣って為していたつもりだったのだが、なかなか上手く行ってはくれなかったらしい。
「わたくし、本当は知っているの」
「……?」
 何を、と問うことはできなかった。嫌な予感がしたのだ。けれどもそんな私の心中を察することは無く、ロミアは言い募る。私は未だ何も聞いてはいないのに、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「兄様はね。ジュリアンを戦場で、殺そうとしているのよ」
「!」
「図星かしら?」
 挑発的な声には、それだけでは無い確信という響きが混じる。
「……何の冗談だ」
 一言、そう搾り出すのが精一杯だった訳は恐らく、指摘が少なからず的を射ていたからだ。私は……。
「それしか、兄様が彼を手に入れる方法は無いから」
「戯れ言だ……」
「いいえ、いいえ。これを見て」
 ロミアが懐から取り出した右手に、ひと振りの短剣。それは、紛れもなく。
「兄様のものよね?」
「あぁ。いつ私の荷から……」
 否定には意味が無い。何故ならば、その剣の柄には、我がモンタギュー家の紋章が刻み込まれている。ひとりの男の名と共に。
「JULIAN」
「………」
 特に理由など無いつもりだったのだ。そのスペルを彫ることに。手慰みの、更についでに書いたようなものだった。しかし、思えば私は。
 カラカラと窓の開く音に我に返る。ロミアがバルコニーに出ようとしていた。
「棄てるわ。此処から」
 冷たい声音が、どうしようもなく私の心に波紋を作る。
「兄様はジュリアンを手放す気は無いのでしょう?」
「……や、めろ」
 私の喉が、水分を求めて喘ぐ。
 短剣の刻印が誰かの――例えばジュリアンの――手に渡ったとして、決定的な何かをもたらすとは思えない。お前にやろうと思った、とでも言えばいいのだ。それなのに。
「やめろッ……!!」
「きゃ…」
 私は短剣を取り返そうと、ロミアに掴みかかっていた。彼女の背中がバルコニーの手摺りにぶつかって、ガシャンと派手に騒ぎ立てる。
「兄様、痛い…!」
「ロレンス…?居るのか?」
 やけに高い妹の叫びに重ねるように、庭から信じられない声が届いた。そして、私は悟る。このバルコニーは二人の逢瀬の場だ。旅立つ前夜の今日、ジュリアンが窓下に訪ねて来ない道理は無い。
「いや、兄様、やめて!」
「!」
 ジュリアンは今度こそはっきりと見ただろう。部屋の照明の中、ロミアの細腕を押さえ付ける私の姿を。
「……今行く」
 庭から私の腹心の気配が消えた。上がって来ることは明白だった。途端、ロミアは……私の妹は、泣き叫ぶ演技をぴたりとやめて微笑った。
「さぁ、これからが仕上げよ」
 取り戻せなかった短剣が白い手に操られて翻る。その切っ先が紅に彩ったのは、私では無く彼女自身。
「……返すわ。兄様」
 重みの無い身体が私の腕にくずおれる。受け止める掌中には、濡れた刃。それは、鮮烈な死のイメージ。
 間髪入れず部屋に飛び込んで来た人影に、私は間違い無く放心した、情けない表情を見せたことだろう。
「ロレンス……」
 今、最も会いたくなかった人物――ジュリアンが、その台詞を掠れさせる。
「……貴様、」
 嗚呼、なんという予想に違わぬ展開。腹心だった男が、その君主に向かって白刃を閃かせるのだ。
 私の腹を鋭い風が薙いだ。既に半分以上飛んだ意識で、私は呟く。
「は……‘私の従僕’が聞いて呆れる」
 しかし、それっぽっちの皮肉も有ったことにはしてくれないで、ジュリアンはその最愛の人を抱き上げたらしかった。

「ロミア…!」

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